かたちを与える

雑多な所感

31st Dec. 2014 日記

 12月31日の日記.

 

 最近ではもはや当たり前のようになってしまったが,午後に起床.それらしいことといえばセブンイレブンでそばを買って茹でて食べながら映画を観た程度だろうか.

 ここからは12月31日のことではなく1月1日の出来事になってしまうが,いろいろ書いていたらいつの間にか日付が変わっていた.別に何かを楽しむことが嫌いなわけではないが,小さい頃からあまり年中行事を楽しむ習慣があまりなかったので,年越しもいまいちノリきれないところがある.

 

 そういえば「ゆく年くる年」なんてフレーズを目にしたものだから,それがきっかけになって,夏のある試験では時間概念について論じたことを思い返していた.いまは相対論を勉強しているし,好きな映画作品にはInceotionやInterstellarがあるし,なにかと時間について考えさせられることが多い.古代ギリシャの自然哲学からの流れでの近現代の自然科学の歴史を学んでいても時間についての議論は必ずあるし,量子論と一般相対論を統一しようという流れの中でも時間について話題にのぼる.

 というわけで,時間ってなんだろうということについて,自分がいま理解しているつもりのこともそのうち書いて,かたちにしてみたい.物理学的な対象としての時間というよりも,人間の思考や認識に関わるものとしての時間のこと.ただ,哲学の領域にあったものが科学の対象になるということはざらにあるので,アプローチの仕方を限定することには大して意味がないね.

 時間って存在するの?という疑問からある極限状態を想定してみたら,それは誰でも考えつくものらしく,古くはアリストテレスなんかも同様のことを言っていた(別に自分がすごいというメッセージを言外に含むものではない).

 

 今後の目標.目に入るあらゆるものに知的な好奇心を向け,それについて考える.そうしてあらゆるものを理解しようと試みる.理解の程度をはかるためにときには発信してみる.考える.